育った時代によって価値観の傾向があると思うのだけど
我慢する事が美徳っていう風潮は、恐らく上の世代に行くにつれて多く見られる
わたしが子供の頃は、今より遥かにスパルタな時代だった
それが当然だったと言いたいのではなく変だったよね
先生の体罰とかも日常の光景だったし、親もなんだか超厳しかった(ここは家庭によりけりだろうけど)
中学生の頃の部活では当たり前のように全員ビンタとかされていたっけよ
ビンタなんて一体何しでかしたの?って話だけど、別にそこまで大したことではない理由
なんかダラダラ練習しててぶったるんでるとか、
遠征試合の自転車でノーヘルだったとか、
先生の機嫌がなんとなく悪くてたまたま何か理由をつけて…みたいな雰囲気もあったんだろうなぁと
それくらいの失笑レベルでビンタを喰らう感じだった
あの時代に「怒らない子育て」なんてしている人いたんだろうか
怒る子育てがデフォルトと言っても過言ではなかったんじゃないか
子供は大人の言う事を聞く、嫌でも我慢して耐えるのが当たり前みたいな雰囲気だった
そう考えるとなんか怖いよね
独裁的で
鉄拳制裁
軍隊みたいな考え方で育てられだんだなぁと
親の育て方は家庭ごとに色々違うのだろうけれど、きっと一般的に世の中が親に求める事としてもそんな風潮はわりとふつうだったんじゃないかと思う
それで
社会に出てからもやはり、上の世代はスパルタだった
今で言ったら
パワハラ
モラハラ
セクハラ
は当たり前
ハラスメントの三冠王を余裕で達成出来るような上司や年上はそこら中にいたような気がする
そもそもハラスメントという意識や言葉すらも今みたいに全く日常には存在していなくて
上の言う事は聞くのが当たり前
体育会系的な上下関係が当たり前
嫌でも我慢が当たり前
我慢する事は美徳
っていう、学生時代の価値観をそのまま引きずった社会人が出来上がっていた
働く=俗に言うブラックな働き方も当然に求められ、我慢して耐えるしか無い
ブラック企業なんて言葉も無かった
たぶん世の中のほぼがブラック企業だったんじゃないかと思ってしまうくらい
その辺はもしかしたらわたしの見てきていないホワイトな世界も存在していたのかもしれないけれど、少なくとも周りを見る限りではそうだったように思う
労働者を守る権利とか意識とかってすごーく低かった
今と比べると雲泥の差
そういう哀しき育てられ方をしてしまった中年のわたしが今頃にしてようやく思うことは
我慢は美徳じゃないんだよね、って事
若者や、違う育てられ方をしてきた人が聞いたら当たり前過ぎて笑っちゃうレベルかもしれないけれど
そのくらい、この悪しき風潮にわたしもわたしの周りの同世代達もけっこう苦しめられてきた気がする
たとえば、仕事でも
ちょっと上の世代の人なんかで、未だに我慢=善、と考えてしまうタイプの人がいたとする
善、というよりきっともっと細かく見ていくと、そうする事しか知らないのだと思うのだけど
自分さえ我慢すれば丸く収まる、とか
お客様や取引先や上司相手に交渉をする事=ワガママだと捉えてしまっているとかね
…
違う、そうじゃない
と
今わたしは思う
努力≠我慢
努力と我慢は似ているようで全然違く
ノットイコールだ
伝わるかどうかは別としても伝える努力は必要で
交渉する事も努力が必要
相手の言い分を100%聞くか、自分の言い分を100%通すか、というのはコミュニケーションでも何でもなく
ただ我慢すればいいというのは一見忍耐強く努力している風だけど
伝える事、理解してもらう事、考える事を諦めている、怠けている、つまり放棄しているともいえる
我慢を強いるのはただの独裁者だし
今は絶滅危惧種に近いけど、昭和の悪しき風習を引きずってしまうとそうなる
未だたまーに生息していたりもするんだが…
24時間戦えますかビジネスマーンのCMがふつうに流れていたあの頃と、今はまるで時代が違う
報われるメリットもあった時代だからそれだけ頑張れたんだろうけど今は全然違うしね
これは仕事に限らず例えばプライベートの嫁姑問題や夫婦問題も友達関係にも全部にいえるんだと思う
無理矢理我慢して合わせるか合わせてもらうか諦めるか、ではなくて
お互いの譲れる部分と譲れない部分と、調和できそうな部分を探りながらどうしていったらベターなのか
コミュニケーションを取り、時には態度で示し、ある程度の時間をかけて信頼関係を築いていく姿勢がないと
いい関係は築けないんだなぁと
この年齢になってそんな当たり前の事を感じたりする
努力をしても時間をかけても分かり合えない人もいるのは事実だから
それはそれでまた別の問題になってしまうけれども
少なくとも、伝える必要がある人に伝えるべき事を伝える、そして相手の言い分と共に落とし所を一緒に探していく作業は
我慢よりももっとレベルの高い努力が求められるんだと思うし、大事な関係であればそれは必須スキルとも言えるのかもしれない
どうでもいいレベルの人ならばその努力は不要だし
中年ともなれば誰彼構わずがむしゃらに努力する年齢でもないから
そこの見極めは自分の判断になるけれども
わたし達以上の世代はそこを目指さなきゃダメなんじゃないかと思う